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おもに新選組について、他自分の好きな事、日々感じた事など気の赴くままに綴ります。

龍馬図柄の記念硬貨
今更の話題で恐縮ですが、去る7月21日に坂本龍馬の図柄の硬貨が発行されました。
これって、大河ドラマの龍馬人気にあやかって発行されたのかなあ、などと思ったら、
そうではなかったのですね。
なんでも地方自治法施行60周年記念貨幣なるものが、平成20年(2008年)から
発売されているとか。
これは、平成20年7月から平成28年度前半までの約8年間にわたる大プロジェクトで、
その8年間で、47都道府県全ての貨幣(500円と1000円)が発行されるのだそうです。
で、今回の龍馬はいうまでもなく、その中の高知県のもの。
いつ、どの県のものが発行されるかは協議で決定されるようですが、
大河放送年に龍馬硬貨とは、なるほど高知県も考えたものですね。
ただ、実物は見てみたいかもと思うも、無理して手に入れなくてもいいか、とも思ったのですが、
たまたま姉が近くの信用金庫に行くと、午後3時の閉店間際にもかかわらず、
まだ残っていたと取り替えてきくれました。

写真を撮ってここに載せようと奮闘したのですが、どうも上手く撮れず、あきらめたので
詳しくお知りになりたい方は、造幣局のHPなどでご覧下さいませ。

それにしてもこの龍馬さん、かなり良いです。
初めはあまり興味がなかったものの(だって、土方さんじゃないし・・・
改めて実物を手にしたら、一転、ゲットできて良かったわあと思った私。
どこまでゲンキンなんでしょうね。

ちなみに、この日は高知県の他に福井県岐阜県の貨幣も同時に発行されました。
福井県の図柄は、恐竜
なぜかな?と思ったら、福井県では恐竜の化石が多く見つかっていて、
全国の恐竜化石の8割を占めているそうなのです。
まさに恐竜化石の産地。図柄が恐竜なのも納得です。凄いんですね。
福井県立恐竜博物館という博物館もあるそうなので、いつか行ってみたいです。

そして、岐阜県。こちらは白川郷の合掌造り集落と県花であるれんげ草がデザインされています。
どちらも高知同様、かなり良くできていて素敵だなと思いました。
龍馬だけでなく、この2枚も取り替えてきてくれた姉に、今回ばかりは感謝です。

実は、この記念貨幣、500円硬貨だけでなく、1000円硬貨も発行されているのですが、
こちらは、純銀製でしかも色付き。
申し込み制で、セット販売されるものなので、金融機関の窓口等での交換はできません。
でも、硬貨で色付きって珍しいですよね。って、そういう硬貨って過去にあったのでしょうか?
私は、見たことも聞いた事もないような気がします。

しかしですね、しかし・・・、この1000円銀貨のお値段が・・・。
銀貨といえど、額面1000円ならば巷で使えば1000円の価値しかありませんよね。
けれど、綺麗なプラスチックケースに入れられている1000円硬貨の、そのお値段はというと・・・
なんと 6000円 
いえね、色々検索してみたところ、とても綺麗そうだし、珍しい硬貨だから、
気に入った図柄があれば1枚くらい記念に買っていいかなと気軽に思ったのです。
値段を見るまでは。
でもねぇ・・・、いくらなんでも初めからプレミアつき過ぎではないでしょうか?造幣局様。
確かに特別かもしれませんが、例えば倍の2000円くらいならまだしも、6倍って・・・。
この値段設定がどこから来たものなのか、わかりませんが、貨幣にほとんど興味がない私には
理解の範疇を超えているので、手を出すのはやめました。

こういう記念硬貨が発行されているなんて、今回の龍馬硬貨で初めて知りましたが、
国ももう少し宣伝してもいいのではないでしょうかねぇ。
私のように全く知らない人も、まだまだいるんじゃないかと思いますから。

私の住む東京は、まだいつ発行されるのか、図柄もわかりませんが、
東京を象徴するものと言ったら、いったいなんだろう?
うーん、東京タワー? 都庁? 雷門? 皇居、二重橋? 
もしかしたら、今建築中の東京スカイツリーとか?
私だったら、やっぱり東京タワーが良いと思いますけど、考えが古いかなあ?
皆さんもお住まいの都道府県では、どんな図柄になるのか、考えてみるのも楽しいかもしれません。

それにしても、47都道府県全てを集めたら、圧巻でしょうね。
そういうコレクターの方はたくさんいらっしゃると思いますが、
とてもじゃないですが私には、コンプリートは無理そうです。

と、ここで突然ですが話を変えさせていただきます。もう少しお付き合いくださいませ。
龍馬繋がりで、大河ドラマ「龍馬伝」
こちらも今更ですが、我が以蔵くんの最期、きっちり見せていただきました。
最後までホントに痛々しく、可哀想でしたが、処刑されて、ホッとした気もします。
これでやっと楽になれるよ、良かったねって。

でも、この以蔵くんは史実とは違い、最後の最後まで武市先生に忠義を尽くしてましたよね。
毒饅頭の件も、武市を恨むではなく、逆に感謝しているようにさえ思えました。
過酷な拷問にも耐えきり、決して自白はせず、黙したまま逝ってしまった。
カッコよかったよ、佐藤以蔵。

そして、物語は第三部へと入ったようですが、今後見続けるかどうかは気分次第でしょうか。
本田博太郎さんが出演されるし、新選組の出番もまだあるようなので興味はあるところですが、
色々な情報から、龍馬の行動などが、あまりにも史実とかけ離れているということもあるようなので、
龍馬をほとんど知らない私の中に、この「大河の龍馬」が刷り込まれてしまうのも怖いかな、
とも思うのです。

そうだ、そういえば、以蔵役の佐藤健くん、今度は「るろうに剣心」の主人公、
緋村剣心役をすると聞きました。
大河の以蔵が決まった時に、剣心役も決まったそうなので、
以蔵の演技で注目を浴びたからというわけではないようです。
剣心は、私にはやはりアニメでの涼風真世さんの声のイメージが強いので、
と言っても私は漫画も読んでいないし、アニメもほとんど観たことがなく、
まともに観たのは過去にCSで放送されたOVA、それも一作だけなんですけど、
それでも実写化は想像がつきませんから、どうなる事かと思います。
ただ、佐藤剣心には頑張って欲しいなという気はします。
あっ、剣心ですからやっぱり「~でござるよ。」とか言うのかなあ? 

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土方さんの年季奉公
今回は、以前の記事で書いた『幕末と戦国 このとき義を貫いた』における
私の知らなかったことについて、書いてみます。
(ちなみに本屋さんで見たのは、この本で間違いありませんでした。で、結局購入。)


幕末と戦国このとき義を貫いた (AERA Mook)幕末と戦国このとき義を貫いた (AERA Mook)
(2010/01/04)


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土方さんに出会って三十数年、新選組や土方さんの本にかなりの額を費やした事は確かです。
でも、買っただけで満足し、積読状態になっているものがあることも事実。
それに、史実を熱心に研究しているかと言えば、恥ずかしながら、そうでもないというのも実情。
というか、ほとんど勉強はしていないと言う方が近いかもしれません。

だから、日々、新選組研究が進められている現在、私が知らない新事実が
たくさんあるかもしれません。
そんな状況なので、今回の土方さんのことについては、ホントに初耳状態でした。

前の記事にも書きましたが、その箇所を読んだ瞬間は、「え? そうだったの?」と思ったものの、
そのままスルーしてしまった感じに。
でも、よく考えてみると、それって、今まで言われてきた事が大きく変わってくるという事よね、
結構大変なことよねと、かなり重大なことだと気がついて・・・。(遅すぎるって、ねえ。)
それで、私が知らなかっただけのことかもしれないと思いつつ、手持ちの中だけですが、
最近出版された本などをひっくり返し、そのような内容が記されていないか、調べてみました。
ですが、ごく最近の本でも従来言われてきたような記述しかなく、謎(?)は深まるばかり。

さて、前置きが長くなりましたが、
その『幕末と戦国 このとき義を貫いた』
「義に殉じた最後の武士 真実の土方と出会う旅」から一部分を抜粋します。

  奉公は一度だけ?「一寸商人風な男」

   ~~その日野市で2005年、石田村宗門人別書上帳扣が公開された。

   現在の戸籍にあたるもので、この公開により上洛前の土方の実像が浮かび上がった。

   通説では、土方は11歳の時に上野の呉服店に奉公に行くも、番頭とけんかをして

   すぐに実家に戻ってくる。

   さらに10代後半でもう一度、別の商家に奉公に出るが、今度は女中に手を出して帰された、

   とされてきた。

   ところが、宗門人別帳で、土方は数え14歳だった弘化5(1848)年から奉公に出て、

   安政5(1858)年には実家に戻っていることが確認された。 


   日野市立新選組のふるさと歴史館学芸委員の藤井和夫氏はいう。

   「土方が奉公に出ていた時期が、これまでいわれていたのと異なることがわかりました。

   土方は数えで14歳から23歳までの10年間、つまり十年季奉公を勤め上げていたのです。」

   
京都に上り、新選組を作るのは年季奉公から帰ってきて5年後のことになる。

   「きちんと10年間奉公していたと知り、土方のことがより理解できました」
   
   そう話すのは、日本近世・近代文学が専門の管宗次武庫川女子大教授だ。~~


もうお分かりですよね。私が気になった点。
ここには、土方さんが商家で10年季奉公を勤め上げていた、とあります。
そして、小タイトルには「?」があるものの、本文は明らかに奉公は一度としか受け取れない
言い方になっています。
というか、はっきりと断定してますよね。断定。
だからこそ、気になったし、それを全く知らなかった自分がちょっと情けなくも思えました。
けれど、正直、本当なの?と思う気持ちも強く・・・。

そこで、一番に浮かんできたのは、こんな疑問。
もしそうであるなら、土方さんはどこで剣の腕を磨いたのでしょう?
従来説では、ご存知の通り石田散薬の行商で武者修行して歩き、
剣の腕を磨いたとされてきましたが、もし、商家に23歳まで10年間も勤めていたとしたら、
少なくと23歳までは剣術修行なんて全く出来なかったはずです。
にもかかわらず、25歳で天然理心流に正式入門し、わずか3年半ぐらいで
中極意目録までを修めている史実を考えたら・・・
余程の天才剣士だったということでしょうか?

あっ、それとなぜお店を辞めてしまったのか?
二十歳も半ばになろうという時まで頑張ってきたのに、辞めてしまった理由がわかりません。
出世する見込みはないとさっさと見切りをつけちゃったのかなあ?
でも、なんか腑に落ちない。
うーん?やはり疑問点はまだまだ残るような気がします。

それに、断定しているということは、そういう話がもっと広まってもいいはずなのに
最近出版された本にもそうは書かれていません。(私が持っている中に限りますが)

そこで、もう一度、このことに関連したことが書かれている2005年以降に出された本はないものかと、
今度はネット検索で探してみたところ、とりあえず一冊見つけることができました。

それがこちら
     
土方歳三―洋装の”武士”として散った漢の一徹 (新・歴史群像シリーズ 13)土方歳三―洋装の”武士”として散った漢の一徹 (新・歴史群像シリーズ 13)
(2008/03)


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ちなみにこの本は、発売当時、買いそびれてしまい、それっきりとなっていたものだったので、
今回、急遽購入しました。

2008年に出版されたこの書の中で、菊池明先生が、
「丁稚奉公に出たのは、十一歳ではなかった!石田村『宗門人別書上帳扣』が語る若き日の歳三」
と題し、この件について書かれていました。

簡単に要約しますと、
土方さんは13歳、あるいは14歳で最初の奉公に出て、
17歳で奉公を終え、天然理心流を学ぶかたわら、二度目の奉公に出たと解釈しなければならない

とのこと。

また、 ~17歳以降の数年間、歳蔵は奉公と剣術修行を両立していた事になる。
     しかし、奉公人にそのような環境が与えられたということは現実問題として
     考えられる事ではない。~
     ~17歳以降、歳三はどこに奉公していたのだろうか、新たな謎が生まれてしまった。

と記しておられます。
(やっぱりそうですよね、土方さんを知っている人ならきっと誰もが疑問に思いますよね。
 いったいどこで修行を?)

ということですが、
菊池先生は、この件について、断定はされておりません。
そして、『幕末と戦国 このとき義を貫いた』の見解とも違っています。

また、同書において山村竜也先生は、 「修羅の京都へ武士としての第一歩を踏み出す」の中で、
   ~実は土方家の戸籍ともいうべき宗門人別帳では、奉公に出ていた間の歳三には
   奉公中である旨が記されているのだが、失敗して故郷に帰ってきてからも
   そのままの記載になっている。
   あるいは、実家に戻らずに佐藤家で暮らしていたため、実家のほうでは
   いまだ奉公中であるように届け出ていたのかもしれない。~

と書かれています。 

この本は2年前の本であり、その後にどんな見解が出てきているかは、
今の私にはわからないのですが、
ただ、個人的には『幕末と戦国 このとき義を貫いた』の断定的な記事には、?かなと。
できれば、いつか日野市立新選組のふるさと歴史館に赴き、
学芸員の方に直接お話をお伺いしてみたいです。

ですが、今回ちょっとでも調べてみて、今まで知らなかったことをわずかでも知ることができ、
モヤモヤしていた気持ちも晴れたので良かったです。
そして、土方さんの人生は、まだまだ謎が多いんだということを改めて感じました。

それにしても・・・
土方さんが10年も年季奉公してきたとは、どうも想像がつきません。
私としては、従来どおりの行商しながら武者修行が似合っている、
土方さんらしいと思えるんですけど。
でも、一方でこれが事実としたら、
日野のバラガキだった歳さんが、よく頑張ったなあって思ったりもします。

あの~、皆さんはご存知だったでしょうか?
今日までこういった事を全く知らずに、驚いたのは私だけ?
あっ、そうだ
土方さんが6人ではなく10人兄弟の末っ子だったという事は、
いくら勉強不足の私でも知っていますよー。
なーんて、今更、何?ってことで、自慢にも何にもなりませんよねぇ。
失礼しましたー。


オグリキャップのテレカ
                 オグリキャップ in HOKKAIDO                                                                
  

                     オグリキャップ 001

                              1993.1.15 新潟県 新潟支店発行
  


      NTT発行のごく普通のテレカで、プレミアが付くような特別なものではないですが、
      アップで撮られた姿がすごくいいので、とても気に入っています。
      私が持っている唯一の写真です。
      オグリキャップの死去に当たり、UPしてみました。



オグリが・・・


   あのオグリキャップが・・・


   逝ってしまいました




 
   悲しい・・・













   けれど

   すごい頑張りやさんだったあなたの雄姿は

   決して 決して忘れません




   たくさんの感動を  勇気を  思い出を


   ど う も あ り が と う !




   お別れは とっても寂しいけれど
   
   これからは天国で ゆっくり休んで下さい



   どうぞ安らかに・・・         




   合掌


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